漢字のお話、再び。
宮城谷昌光さんは、「うそ」ということばに、「妄」という漢字をとくあてます。
『呉漢』でも、
「人の話には、半分信(まこと)があっても、あとの半分は妄(うそ)だということよ。(後略)」
というふうに。
「妄」ってあまり使わないよなとちょっとだけ思いましたが、それ以上深く追求してませんでした。
いやしかし、今の私には、白川静さんの字書三部作(『字統』、『字訓』、『字通』)がある!知って何が得するかというばなにも得しませんが、知る前の私と後の私は、きっと何かが違うはず。
いまだにその厚さにおののきながら、まず「妄」を引こうと『字統』を「うそ」の読みで探してみますと…、あれ?「妄」の読みに「うそ」がないぞ。ではなぜ宮城谷さんは「妄」を「うそ」と読むのだ?まあそれは、ご本人に聞かないと分からないのでおいといて。
「嘘」。声符は虚。虚は墳虚(はか)の意で実体のないもの。嘘はことばにならぬ気息をいう。わが国では「うそ」の意に用いるが、うそは虚偽、嘘は気息に用いる字である。
ついでに「虚」。虚址(古代王朝の都城の址)の義より転じて現存しないもの、虚実の虚となり、虚偽・虚構の意となり、空虚・虚無の意となる。老荘の思想において、無が絶対否定的であるのに対して、虚は実の否定態として、実を可能ならしめる原理としての意味をもつ。
ちなみに「嘘」の読みは、キョ、コ、なげく、うそぶく、うそ。
「妄」。声符は亡。妄と荒とは字義に関連がある。荒は草間に遺棄された屍体。妄も亡に従うて、死骨の呪霊へのおそれを含む字であろう。
ちなみに「妄」の読みは、ボウ、モウ、みだりに、いつわり、あやまる。
(漢字の説明、一部はしょってます。)
『字統』を読んだ後の私の勝手なイメージは、「嘘」はないものをあるということで、「妄」はあるものをないということ。もちろん私の勝手な想像なので、話半分に聞いといてくださいー。
まあなぜ今回うその字について調べようと思ったかというと、最近の国会のやり取りにうんざりしてきたからなのさ。うそだらけ。
国会に漂ううそは、「嘘」か「妄」か?
参考にした本:『字統』、『字訓』、『字通』(平凡社)
『呉漢』(中央公論新社)