秀丸の酒とゲームとロボットの日々

酒とゲームとロボットが大好きです

酒の日々・読むお酒 蘇東坡『蜜酒歌』

 三國志14が一段落したので、三國志と同時に買った龍が如く7をやっています。ちょっとでも気になることがあると最初からやり直すを繰り返していたので、やり始めてから大分経つのにまだ1回しかエンディングを見ていません。

 以上、ブログ更新さぼっている言い訳でした。  

 

 まあそれはおいといて、今回は蘇東坡さんの詩。蘇東坡さんは、自分でいろいろなお酒を造ってそれを詩に詠んでいたみたいです。いいなあ。

 

眞珠爲漿玉爲醴  眞珠を漿と爲し玉を醴と爲し、

六月田夫汗流泚  六月田夫汗流泚たり。

不如春甕自生香  如かず春甕自ずから香を生ずるに、

蜂爲耕耘花作米  蜂を耕耘と爲し花を米と作す。

一日小沸魚吐沫  一日小沸して魚沫を吐き、

二日眩轉淸光活  二日眩轉して淸光活す、

三日開甕香滿城  三日甕を開けば香城に滿つ。

快瀉銀瓶不須撥  銀瓶に快瀉して撥するを須たず、

百錢一斗濃無聲  百錢一斗濃かに聲無し。

甘露微濁醍醐淸  甘露微濁なるも醍醐淸し、

君不見南園采花蜂似雨  君見ずや南園の采花蜂雨に似たり。

天敎醸酒醉先生  天は酒を醸して先生を醉はしむ、

先生年來窮到骨  先生年來骨窮に到り、

問人乞米何曾得  人を問ひ米を乞ふも何ぞ曾て得ん。

世間萬事眞悠悠  世間萬事眞に悠悠、

蜜蜂大勝監河侯  蜜蜂大いに勝る監河侯。

 

このお酒の色つや、まるで真珠のようだなあ。

6月にお百姓さんが汗を流し、蜂は花を耕す。

醸して一日目には、ふつふつとまるで魚が泡を吐くよう。

二日目には、清く輝く。

三日目に甕を開けると、いい香りが家中に広がるよ。

もう待てないや飲んじゃおうっと。

この濃さったら、もう声も出ない。

君見たことないだろう?南園の花に集まる蜂は、雨のように多いんだぜ。

天は酒を醸して、おいらを酔わせる。

おいらは貧乏が骨身にしみてるってのにさ。

人にお酒用の米を乞うても、くれたことないよ。

蜜蜂は監河からの贈り物に勝るなあ。

 

 この詩でいう蜜酒とは、蜂蜜で造るミードではなく、蜜のように甘ーいお酒ということらしいです。

 それにしても、蘇東坡さんの詩は「いやーん、くー」しにくいなあ、もう。なんだか本当の詩の意味と、どんどんかけ離れてきますよ。

 

 超余談ですが、最近宮城谷昌光さんの『歴史の活力』という本を読みまして、これが「予言書か!?」てなくらい、今の世の中をいい表しているのですよ。

  特にこの文章。

「たとえばいまの世ほど、経済ということばが「経世済民」(世を経め(おさめ)、民を済う(すくう)の短縮形であることを、忘れられているときはない。もっともその四字熟語から世と民とが消えてしまったのは、ここにきて正解であるという皮肉なみかたができなくはない。」

 経済を成長させるということは、一部の人の自己満足のためのものではなく、多くの人の幸せのためのものなのですよ。本来は。

 

参考にした本:蘇東坡詩集巻34(道立図書館にあった本のコピーなので、詳細知らず)

       『歴史の活力』(文春文庫)

漢字の日々 「望」(ボウ)

 漢字のお話、ごたび。

  

  今回は、同じ読みの違う漢字のお話ではなく、宮城谷昌光さんの小説『太公望』の主人公「望」が、自分の名前の文字を知る。そんなお話。

 

 『太公望』は、古の中国の王朝「商」を倒した「周」の文王・武王の軍師的な存在。

  小説『太公望』は、完成された太公望ではなく、望という一人の人の物語なところが、好きなのだなあ。

 羌族のなかの呂族の族長の子である望は、呂族のほとんどを商に殺され、紆余曲折を経て孤竹(こちく)の邑(くに)にたどり着きます。そこで望はの近くの山の洞穴に住む老人に、剣術と文字を習うのです。剣術も文字も、このころはまだほんの一部の人しか手にしていませんでした。

 文字の中で、望はまず、自分の名前の文字を教えてもらいます。目の大きな人がつまさき立って遠くをながめている象(かたち)です。

「この目は、千里のさきをみる能力がある。つまさき立った足は大志のあらわれである。望は、死ぬまで望である。忘れるな」 

 老人は、文字を教えてくれると同時に、生き方も教えてくれた。そんな気がします。

 

  『字統』で「望」を引いてみると、その解説が長い長い。とても全部は書けないので、さわりだけ。

 「望」。声符は亡(ぼう)。卜文は、大きな目をあけ、挺立して遠くを望み見る人の形である「ぼう(字が出てこない)」で、象形。のち金文の字形は月を加え、また目の形の臣が亡の形に書かれて望の字となった。望は声符として亡を加えた形声字。(中略)遠く望むことによってその妖祥を察し、またその眼の呪力によって敵に圧服を加える呪儀を望という。(後略)

 ちなみに「」の読みは、ボウ(バウ)、のぞむ、ねがう。

 

 文字の成り立ちを知ることによって、いつもの景色も違って見えてきます。例えば、「咲」という字に「わらう」という意味があるということを知ってから、道端に咲いている花を見るたびに、「あー、花が笑っているなあ。そっか、花は咲くのを誇っているのではなくて、咲くのが楽しくて笑っているのだあ」と、とりとめのないことを考えてしまいます。

 だからこそ、ことばを、人を攻撃する道具に使ってほしくない。

 

 超余談ですが、古代中国の戦国時代の名臣を紹介している『戦国名臣列伝』という本の中に、気になる文章がありました。

 当時の大商人であり経済学者でもあった白圭さんが、中山と斉からとどまるよう請われたけど辞退した理由を人に問われて、

「この二国はまもなく滅ぶでしょう。わたしがかつて学んだことに、五尽、というものがあります。何を五尽と謂うのか。約束をかならず守るということをしなければ信が尽き、人を正しく誉めることをしなければ名が尽き、臣民を愛することをしなければ親が尽き、出陣する者に兵糧がなく国に居住する者に食料がなければ財が尽き、人を用いることができず自分の才能も発揮できなければ功が尽く。国に五尽があると、幸運にめぐまれることなくかならず滅亡するのです。中山と斉はそれに当たるのです」

 今の我が国は、どこまで尽きているのだ?

 

 

参考にした本:『字統』平凡社

       『太公望(文春文庫)

       『戦国名臣列伝』(文春文庫)

酒の日々・読むお酒 オキ・シロー「昼下がりのギムレット」(『昼下がりのギムレット』より)

 オキ・シローさんは、お酒関連のエッセイやショートストーリーを、数多く書いた人。カクテルグラスの向こう側に、男は過去を、女は未来を見る。なんちゃって。

 

 『昼下がりのギムレットは「粋なカクテルとドライな男たちの物語」(帯封)。表題作の「昼下がりのギムレット」で「わたし」はグァム島のコンチネンタル・ホテルでイギリス人の記者ジム・マッケイと出会い、一緒にギムレットを飲みます。そして、戦争が「インドシナからなくなっても、人間はまたどこかで始めるでしょうよ」とジムがいうのを聞いて、「わたし」は思うのです。

 

わたしはどこかで聞いた“男は三つのWをやめられない”という言葉を、苦い気持ちで思い出していた。 三つのWとは、WhiskyとWomanとWar。つまり、酒と女と、戦争・・・・・・。

 

 さしずめ女なら、三つのMをやめられない、てな感じ?MoneyとManと

Mazinger。つまり、金と男と、マジンガーZ!(すみません、もう一つのMが思いつきませんでした。)

  

 酔っぱらいに関りあうのは、いつも間違いばかりじゃないさ。

  

参考にした本:『昼下がりのギムレット』(幻冬舎文庫

 

 超余談ですが、いつも中国の名言ばかり取り上げているので、たまには日本の名言も取り上げてみようと思いまして、『戦国武将の名言に学ぶ』という本を取り出してみました。戦国時代は常に決断が迫られていた時代なので、その発言には重みがあります。

 うん、やっぱりこれかな。

「人は城、人は石垣、人は堀、情は味方、讎は敵なり」(『甲陽軍鑑』品第三十九)

 もうひとつ。

「大将、慈悲をなさるべき儀、肝要なり」(『甲陽軍鑑』品第四十一)

 

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戦国BASARA武田信玄

 私の勝手な武田信玄さんのイメージは、戦国BASARAの「おやかたさまー」なのですが、実は誰よりも「人」を大事にした人。

 大将は、「人」を感じながら政治をしなければならないのだ。

 

参考にした本:『戦国武将の名言に学ぶ』(創元社

ロボットの日々 『無敵超人ザンボット3』

 はあ、最近世の中が殺伐としてますねえ。ウイルスそのものはもちろん嫌ですが、ウイルスのためにいわれなき差別や非難中傷が起きるのが、もっと嫌。

  

 そいえば、無敵超人ザンボット3の神ファミリーも、いわれなき差別や非難中傷に苦しんだよなあ。

 てなわけで、今回は 無敵超人ザンボット3のご紹介。

 

 さてさて、『無敵超人ザンボット3』をデータ風に紹介すると、こんな感じ。

 1977年10月8日~1978年3月25日 毎週土曜日17時30分~18時00分 名古屋テレビ系 全23話(放送は再放送2話を含むため25回)

 オープニング「行けザンボット3」 作詞:日本サンライズ企画室 作曲:渡辺 岳夫 編曲:松山 祐士 歌:堀光一路

 エンディング「宇宙の星よ永遠に」 作詞:日本サンライズ企画室 作曲:渡辺 岳夫 編曲:松山 祐士 歌:堀光一路

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ひろいーうちゅうへーはーばーたいてーゆーけー

 

 そして、『無敵超人ザンボット3』をダイジェスト風に紹介すると、こんな感じ。

 地球に突如襲来したガイゾック。彼らの目的は、全ての知的生命体の殲滅。かつてガイゾックに追われ、地球に逃れてきたビアル星人の子孫である神勝平たち神ファミリーは、ビアル星の遺産である宇宙船キングビアルと巨大ロボットザンボット3で立ち向かう。しかし、ガイゾック襲来を神ファミリーのせいと思い込んだ人々は・・・。

 

 さらに、ザンボット3をメカニック風に紹介すると、こんな感じ。

 ビアル星人が再びガイゾックと対峙したときに備えて、キング・ビアルに搭載していた合体・可変型ロボット。イオンエンジンによって稼動します。全長60m、重量700t。メインパイロットは神勝平。主な武装はいろいろ変形して便利なザンボットグラップ。必殺技は額の三日月から発射するムーンアタック。キング・ビアルのイオン砲を装着することも可。

 

 地球にガイゾックがやってきたのは、決して神ファミリーのせいではないのですが、人々はガイゾック襲来により日常が失われたことへの怒りを、神ファミリーへぶつけます。それでも、ファミリーの多くを失いながら、勝平は戦い抜いたのです。人々の心の底に眠る「優しさ」を信じて。

 

参考にした本:『ザンボット3・ダイターン3大全』(双葉社

 

 超余談ですが、私は我が国の政治家にこのことばを送りたい。猛烈に送りたい。

「轍鮒の急」

 車の轍(わだち)の水たまりに一匹の鮒がいて、荘子さんに枡一杯の水で助けてほしいと言いました。荘子さんはこれから私は呉越の王に会いに行くところだから、途中にある大河の水をせきとめて、ここまで引いてあげようと言いました。鮒は起こって、今一杯の水があれば救われるんだ、そんな悠長なことをするより、乾物屋の店先で私を探した方が早いだろう、と言いました。

 やらない善よりやる偽善。やらない偽善が、最もたちが悪い。

 

参考にした本:『エピソードでわかる中国の名言100』(明治書院

 

 

 

漢字の日々 「耽しむ」(たのしむ)、「婾しむ」(たのしむ)、「怡しい」(たのしい)、そして「愉しい」(たのしい)

 漢字のお話、よたび。

 

 えー、宮城谷昌光さんが書いた『管仲』という小説がありまして、管仲さんは中国春秋時代に斉の桓公さんを覇者にした、稀代の名宰相なのですが、(仲は字で、名は夷吾)その中に「酒をしむより、女をしむより、管仲といたほうがしいのである。」と鮑叔さん(管仲さんの大親友)が思う場面があるのですよ。そして、管仲が昔の婚約者と再会する場面で、婚約者が管仲さんのことを誇らしい気持ちになると言うのを聞いて、「それは愉しい」と一笑します。

  ふーん、たのしむって楽しいだけではないのだなあ。そのうち意味を調べてみようかなあと思ったけども、そのまま放置。

  で、そのうち。

 

  『字統』の字訓索引で「たのしむ」を引くと、その数の多さにわあびっくり。旧字体を除いても37もありますよ。昔の人はどれだけ楽しかったのだ?

 「」。声符は冘(いん)。冘に沈・酖の声がある。[説文]に「耳大いに垂るるなり」とあり、儋と同じく儋耳、耳が垂れることをいう意が原義。(後略)

 ちなみに「」の読みは、タン、みみたぶ、たのしむ、ふける。

 「婾」。声符は兪(ゆ)に偸(とう)・愉(とう)の声がある。は舟(盤)と余(外科用の曲刀)の形に従うて、手術刀を以て膿血を盤に除去する意であるから、治癒することを意味し、愈(ゆ)(いやす)の初文[説文]に「巧黠なるなり」、すなわちわるがしこい意とするが、声義ともに愉に近い字である。婾生・婾薄はまた偸生・偸薄ともしるし、一時の僥倖を貪ることをいう。(後略)

 ちなみに「」の読みは、トウ、ユ、わるがしこい、ぬすむ、たのしい。

 「怡」。声符は台(い)台にも怡ぶ意があって、[説文]に「台は説ぶなり」とみえ、[史記、太史公自序]に「諸呂台ばず」の語がある。同じく台を声符とする怠は、怠慢の字である。台は耜(すき)の形である厶に、祝禱の器のさい(字が出てこない)を加えて、農具を清める儀礼をいう字であるから、怡は台の声義をも兼ねて、怡悦の義となる。(後略)

 ちなみに「」の読みは、イ、よろこぶたのしむ

 「愉」。旧字はゆ(字が出てこない)に作り、兪声。兪は把手のある手術刀(余)で患部の膿血を取り除き、これを盤(舟)に写し取る意で、これによって病苦を除き、心の安らぐのを愉という。(後略)

 ちなみに「」の読みは、ユ、トウ、たのしむよろこぶ

 なお、「たのしむ」に一般的に使われる「楽」は、柄のある手鈴の形で、もと舞楽のときにこれを振って、その楽音をもって神を楽しませるのに使用したそうな。

 ふーむ、みみたぶのが何故たのしむなのかはよく分かりませんが、きっと鮑叔さんは管仲さんを尊敬というか、ある意味神に対するような気持ちだったのだろうなあ。そして管仲さんは、かつての婚約者に会えて、心のつかえが取れたような、心安らぐ気持ちだったのだろうなあ。

 そして、「たのしむ」は、本来自分だけが楽しむのではなくて、他人を楽しませて自分も楽しむものなのだなあ。

 

 管仲さんは、貴族の時代に初めて民のための政治を行った人。

「倉廩実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。」

 今の我が国には、管仲さんみたいな人はいないのかなあ。

 

 

参考にした本:『字統』平凡社

       『管仲』(文春文庫)

ロボットの日々 『闘将ダイモス』

 えー、何故今回、数あるロボットアニメの中から『闘将ダイモス』を取り上げようと思ったかといいますと、もしかして万が一、私が以前ブログに載せたロボット基地の図を見て、「ダイモスの基地は北海道にある」と誤解したら困ったな、と思ったからなのです。(まあ、そんな人いないでしょうけれど。) 

  

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ロボット基地の図

 実は、ガードダイモビックはスペースダイモビックと竜神岬の和泉地下研究所が結合することによってできた基地なのですが、たまたま北海道に「竜神岬」という地名があったので、北海道にガードダイモビックを置いてみた次第なのです。 

 

 さてさて、『闘将ダイモス』をデータ風に紹介すると、こんな感じ。

 1978年4月1日~1979年1月27日 毎週土曜日18時00分~18時30分 テレビ朝日系 全44話

 オープニング「立て!闘将ダイモス」 作詞:八手三郎 作曲:菊池俊輔 歌:ささきいさおコロムビアゆりかご会

 エンディング「エリカのバラード」 作詞:あおいあきら 作曲:菊池俊輔 歌:かおりくみこ、大倉正丈

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みーんなーがおまーえをーよーんーでるー

 

 そして、『闘将ダイモス』をダイジェスト風に紹介すると、こんな感じ。

 第二の故郷を求めたバーム星人と地球人が月で会見するも、バームのリオン大元帥と月基地司令官竜崎勇博士が暗殺され、交渉は決裂。リオンの息子リヒテル提督を地球攻略司令官として、地球攻撃を開始。竜崎博士の息子竜崎一矢は父が残したダイモスに乗り、これを迎え撃つ。その戦いの中で一矢は少女と出会い、互いに愛し合う。だがエリカは敵であるバーム星人、リヒテルの妹だった。

 

 さらに、ダイモスをメカニック風に紹介すると、こんな感じ。

 竜崎博士が万一のため?開発した戦闘用ロボット。普段はトランザーと呼ばれるトレーラー形態ですが、一矢が「ダイモス、バトルターン!」と叫ぶやダイモスに変形します。全長45m、重量150t。パイロットは竜崎一矢。一矢の脳波と体の動きにシンクロして動きます。一矢が宇宙から持ち帰ったダイモライトをエネルギーとしているのですが、ダイモライトが見つからなかったらどうしてたんでしょう。主な武装は胸から取り出す双竜剣、腰に巻いてる三竜棍、見るからに痛そうフットカッターなど。後半ダイモシャフトなどが追加されます。必殺技は、ダブルブリザードで敵を吹き飛ばして落っこちてきたところを拳でぶち抜く烈風正拳突き(いろいろバリエーションあり)。後半はフリーザーストームからファイヤーブリザードへ、冷やして熱して敵をぼろぼろにしたところに烈風正拳突き!

 

 「ロボットアニメ版ロミオとジュリエット」的な一面が強調されがちですが、戦争の悲惨さと平和の尊さ、そして人を差別することの愚かさを教えてくれる、深い作品なのです。

 

参考にした本:『コン・バトラーV ボルテスV ダイモス ダルタニアス大全』

       (双葉社

 

漢字の日々 「笑う」(わらう)と「嗤う」(わらう)

 漢字のお話、みたび。

 

 今回なぜ「わらう」の漢字を取り上げようと思ったかといいますと、みんなご存じ志村けんさんが亡くなって、正直まだ半ば信じられなくって、それにつけても思うのは志村けんさんの「わらい」は他人を下げてわらいを取るのではなく、自分を下げて他人を笑わせてくれる、優しいわらいだったなあ、と。そういえば「わらう」という漢字も「笑う」と「嗤う」があったよなあ、と。まあそんな理由。

 

 

  さっそく、白川静さんの字書三部作(『字統』、『字訓』、『字通』)のうちの『字統』を引いてみます。白川静さんの講義を受けているみたいで、なんか楽しい。

 字訓索引で「わらう」を引くと、「笑」と同じところに「咲」があってびっくりだ。

 「笑」。声符はしょう。(字が出てこない。)笑は巫女が両手をあげて身をくねらせて舞い、笑いえらぐ形の字である。(中略)咲は笑の俗字とみてよい。自作を人にみせるとき「御一咲を乞う」のようにいう。まだわが国では、花が開くことを咲くという。口もとのほころびるさまを花の開くさまにたとえたのである。

 ちなみに「笑」の読みは、ショウ(セウ)、わらう、さく。

 「嗤」。声符はに愚かの意がある。(中略)嗤笑、詆、誚など、嘲笑し、冷罵することをいう。鼻で笑うことを鼻という。

 ちなみに「」の読みは、シ、わらう。

 

 批判だらけのこんなご時世だからこそ、人の愚かさを嗤うのではなく、花が咲くのを見て笑いたい。

 

 

参考にした本:『字統』、『字訓』、『字通』平凡社